H22年
ロシア旅行
日程とアルバム
どんな気持ちでロシアに行くか?
父に話したらなんと言うか?
時間が経つと経験も記憶も歴史に飲み込まれて行く。
ロシア旅行:H22年9月18日〜24日:
第1日
9月18日

【行程】
★成田
→モスクア
伊丹発8:25 JAL 
成田着9:40
成田発10:55JAL (所要時間10時間10分)
宿泊 ツーリストホテル
モスクア着 16:05
19:00宿舎到着予定

*****************
今回の添乗員は込山さん。
伊丹発20分遅れ。9時50分成田着。
今回は約10時間で比較的に短時間と思っていたがやはり長い。
上空から見るとシベリヤの荒野は雪と氷の世界の様だ。
狭い座席だがJALの映画やビデオが大変見やすい。
バラエテイも多く幾つか楽しんだ。
バラエテイも多く幾つか楽しんだ。日中の飛行なので室内を暗くしても
少しまどろんだ程度で眠る事はなかった。
成田を出発した後、丁度12時頃から食事が始まった。
今、日本時間で午後7時近い。

そろそろ2回目の食事が出る頃。
機中では、トイレ:食事:入国カードの記入などが主な仕事・作業。
今8:30.8時頃から食事が始まった。軽食だった。
あと45分位で着陸。時差は5時間(サマータイム)
JALは経営問題を抱えて大変だが現場は大変に努力をしている。
必死で一生懸命に
サービスに努めている。
モスクワの空港に到着。ターンテーブルの横のEXCHANDEの店が閉まっている。
他の店はないようだ。午後10:30。
到着したのは「ドモジェドボ空港」と思う。
モスクアの中心部から南方約30km
空港の前でしばらくバスを待つ。
バスガイドの名前はアレックス。
モスクワの説明・・・・
*生活レベルの高い様子
*面積は日本の49倍
*人口は約1300〜1400万人
・・・などとPRに余念がない。
飛行場からHTLまで約1.5時間ほど街道の風景を見ながら、
郊外から中心部を通過したが、賑わい・華やかさは無い。
ビルやマンシヨンに明るさが無い。
電力事情かな?
宿舎に着いて最初の食事。
HTLの従業員は愛想・愛嬌がない。
お役所仕事;食事は良い味だった・ルーブルがないのでビールは止めた。
今回の食事には毎回、水のペットボトルが付くらしい。
広い公園の中の住宅・
HTLと思ったが1980年の
モスクワオリンピックの選手村らしい。治安はどうも余り良くないらしい。
朝のトランク集めは廊下ではなく部屋の中にキープしておくようにとの事。
現地時間で
pm9:00に就寝。
時差があるので夜中に何度も目が覚めた。
今回はロシア語なので到着した
「宿舎・
HTL」や「飛行場の名前」などが文字の形は判るが、
文字が読めないので・・・発音が出来ない。

飛行場もモスクワの南の方角の飛行場。
後で調べてようやく判った。
今回の旅行の一行は26人で内14人は伊丹から。
パスポートは
HTLにチェックインの度に預ける必要がある。

第2日
9月19日

【行程】
ホテル発9:00予定: 予定変更して
*1*雀が丘
*2*ノヴォデヴィッチ修道院
そのご予定通りの
  赤の広場:

 グム百貨店

 聖ワシリー寺院

昼食:「シャシリク」
昼食後バスで空港へ
→サンクトペテルブルグ
空港からレストランへ
夕食:キエフ風カツレツ
 ホテル着 22:00頃
宿舎:パークイン プリ・バルテイスカヤ
【記録】
*朝起きて宿舎の構内を散策。静かで樹木が多い。
しかし門から出て道路を歩くと一寸貧しい感じのお店があった。

*モスクア観光:
*朝の出発が予定より早かったので後段に予定されていた
 モスクア観光・雀が丘に先に案内された。
モスクワ大学の構内から空に伸びる先端の尖ったビルを眺めたり
眼下に広がるモスクアの町の様子を眺めた。
大きな煙突のある発電所の様な建物が見えたが
これは町中に送る蒸気を作る設備だと想像した。
その後「ノヴォデヴィチ女子修道院」の周囲を散策・見学
【説明】
★ノヴォデヴィチ女子修道院:
モスクワ大公・ヴァシーリー3世の命によって、創建された。
1514年に、建設が開始されたこの修道院は、
スモレンスクがモスクワ大公国に併合されたことを記念して建てられた。
修道院は、モスクワ川の湾曲部における要塞(クレムリ)の役割を果たしていた。
これは、他の修道院も同じような役割を持っていた。
創建の際に、
3,000ルーブルと2つの村が修道院に与えられた。
イヴァン
4世の時代には、さらに複数の村が寄進されている。
この修道院は、ロシア王家やボヤール
Boyar10世紀から17世紀にかけての貴族のことを指す)
出身の貴婦人たちを多くかくまったことで有名である。
彼女たちには、ヴェールの着用が義務付けられた。
修道院に避難してきた女性で著名な者では、
フョードル
1世の妻であるイリーナ・ゴドゥノヴァ
Irina Godunova、彼女は兄弟であるボリス・ゴドゥノフがツァーリとなるまで、
この修道院に避難していた)、
ピョートル
1世の姉妹であるソフィア・アレクセーエヴナ、
そして、ピョートル
1世の最初の妻であるエヴドキヤ・ロプーヒナである。
ロシア・ポーランド戦争では、1610年から11年にかけての一時期、
アレクサンデル・ゴシュースキ
(Aleksander Gosiewski)が指揮する
ポーランド軍に占領されたこともある。
その後、修道院はロシアの手に戻り、
1616年には、修道院を護衛するために、
100人の護衛兵が配備された。
1618年には350人まで増強され、17世紀末までには、
36の村を保有する大地主にまで成長した。
★次は、赤の広場で12時頃まで自由行動になった。
ここで、「赤の広場」、「グム百貨店」、「聖ワシリー寺院」
などを見学。自由時間には「グム百貨店」の周辺を散策した。
グム百貨店で初めて両替をした。両替した¥20,000→RUB7050
*時間待ちをして、近衛兵の閲兵の交代を見たりした。
グム百貨店にはモダンなアーケードがある。モスクワには此処だけかもしれない。

店もおしゃれな店があったがどうも一般市民が利用する様子は見えなかった。
「グム百貨店」
帝政ロシア時代の1893年に完成。
モスクワを代表する百貨店だけでなく、ロシアを代表する建築物である。
1917年に発生したロシア革命の時点では店舗数が1200あり、
革命後はGUM自体はソビエト政権により国有化されたが、
個人商店はそのまま営業が認められた。
その後、ソビエト連邦成立に前後した経済政策の変更を経て、
ヨシフ・スターリンによる独裁体制の下で第一次五カ年計画が開始された1928年、
GUM内の全ての店舗は国営に接収された。
その後もGUMはモスクワの消費生活の中心として、
またソ連では数軒しか無かった「物資欠乏を起こさない商店」として、
ソビエト連邦の経済のショーウィンドーの役割を果たした。
★「赤の広場」
「赤の広場」(Wikipediaによると)
「赤」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、
元々ロシア語では「美しい」という意味もあり、
広場の名前は本来「美しい広場」というものであった。
広場は北西から南東に長く、南西側にはガガーリンやスターリン、
片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領官邸、
城壁に接しているレーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、
北東側にはグム百貨店、北西端には国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門、
南東端には葱坊主の屋根の聖ワシリイ大聖堂と
処刑場・布告台だったロブノエ・メストがある。

*午後2:05食事終了
昼食はポークの串焼きの様なもの、スープ;肉;ポテトすべて味が良い。
ここでも水が1本付き。
昼食のビール=200RUB
〜3:20頃までバスで飛行場へ
飛行場までの街道は
昨日(土)と大分様子が違い、車の量も多く各所で混み、渋滞あり、空港前でかなり渋滞。
車の流れや割り込みの仕方など日本の様子と違う。
各地でそれぞれ事情があるようだ。
〜4:30チェックイン
#41ゲートで待機
→サンクトペテルブルグ
サンクトペテルブルグ到着後バスで約1.5時間。
夕食のレストランに到着。
PAPANYA・・・この店はもともとカジノだったそうだ。
3年前にプーチンにより禁止された。調度品・内装は元のまま。
 夕食:ビールRUB150;コケモモのジュース=RUB90
食事終了後
HTL・PARKINN BALTISKAYA:4つ星。すばらしい。
この街の夜景は特に水辺が美しい。しかしすべてが国家主義の精神に基づく様に思える。
・・・資本・自由主義社会と異なる。
HTL着10:30.11:00風呂→就寝。
第3日
9月20日

【行程】
9:00出発 プーシキン へ
着後:エカテリーナ宮殿 観光
昼食:「サリャンカ」
バスで「ペトロゴーフ」へ
午後:ピヨートル大帝夏の宮殿 観光
バスにて 「サンクトペテルブルク」へ
夕食:魚料理
ホテル着 19:00頃
OP:バレエ鑑賞 はスキップ)
宿舎:パークイン プリ・バルテイスカヤ
【記録】
朝早くからロビーの売店でお土産用のボールペンを買う。
10*10=RUB100
11:45エカテリーナ宮殿見学終了: ガイドブック250RUB
午後5時〜6時食事→バスでHTLへ
夕食:聖ニコライ旧邸宅
ビール150;ワイン150  合計≒400RUB
夕食時、余りパットしないピアノ演奏があった。
高齢の婦人の演奏。チップを要求しているようだったので
チップ=100
RUB
曲はチャイコフスキー
の「白鳥の湖」
音が大きすぎて、うるさい。→しばらくしてボリュームを下げた。

サンクトHTL到着後すぐ横のスーパーで買い物。
チョコレート+スナックなど=≒600RUB
その後HTLロビーの土産物屋でお人形を買う。
180RUB:マトリューシュカ
その他→合わせて≒500RUB
片づけしてpm9時→シャワー就寝pm9:30
サンクトの通訳が素晴らしい:マリアさん: 
【スリの件】
帰りのバスに乗るためバスに近づいた時。
縦列駐車の横にバスが止まっていた。
我々はその間を通って後部の入口から入ろうとしていた。
その狭い所に大勢がつめかけた。
たまたまガイドと添乗員は前の入り口に居た。
そこへバスの後ろから二人の男の物売りが写真・絵本を広げながら

近づき列の中に割り込んできた。
青ジャンパーの男が急にかがみ込む様な姿勢で右手を伸ばした。
それが・・・私の眼に入った。
・・・一瞬やばいと思い大声で「ポケットに気を付けろ!」と叫んだが後の祭り。

後方から見える位置に居たのでよく見えた。
・・・あとで聞くと財布の中身は3万円。
ズボンのポケットに入れていたらしい。

ちょっと不注意かも?でも・・・
ガイドと添乗員が男たちに掛け合ったが・・・
反対に開き直られて・・・危険なので有耶無耶にされてしまった。

第4日
9月21日

【行程】
エルミタージュ美術館:3時間:
昼食後:サンクトペテルブルグ観光
聖イサク寺院
・宮殿広場・青銅の騎士像・血の教会
 →空路モスクア:ホテル

【記録】
朝食・・・比較の問題だがマズしい。

エルミタージュで添乗員の込山さんに自由時間は?
絵画を中心に見たい・・・などと質問すると
集合時間・場所を指示・連絡するので・・・
OKですとの事。
美術館で現地ガイドさんにしばらく同行した後、・・・・
「耳元で」「どうぞ・・・」
とのことだったので・・・
予め準備していたメモ「
WEBで集めた画像をプリントしたもの」
を片手に急ぎ足で次々と見て廻った。
目標の絵を見つけては写真を撮りながら2,3階を廻った。
一廻りしたあとで見られなかった絵を探すのに部屋の監視人のおねーさん;おバーさん

(殆どがお年寄り)に聞くと殆どの人が絵のプリントを見せただけで部屋番号と
行く方向(迷路のようになっているので)をキチンと教えてくれた。
また貸出中の絵まで確認、出来ているようだった。
お陰で目的の約50枚のほとんどを見る事が出来た。
撮影も大体出来た。大満足!
せっかく旅行するのだからこのように小さな目的を作って出かけるのが楽しい。
満足感・達成感が得られる。
込山さんとマリアさんに大感謝。
マリアさんは21歳で結婚し現在は26歳。子ども1人。

シーズンオフには小学校などで子どもに日本語のレッスンをしている。
結婚相手は大学教授。5度目の結婚だそうだ。
いろいろ考えさせられる。

ガイドの案内にはさりげなく国威発揚のPRが含まれている様に思う。
また歴史話しの中に日ロ戦争、ドイツの略奪の話しなども出て来た。

*エルミタージュでガイドブックを購入:790RUB
*夕食ビール150RUB
 HTL着11:00→11:30〜シャワー12:00就寝

第5日
9月22日

【行程】
クレムリン観光
ウスペンスキー寺院
武器庫
午後:モスクア観光
雀が丘

【記録】
宿舎の玄関でバス待ち。雨で・・・。
事故のため渋滞でクレムリン・・・省略。
正教会に行く。午後は食事。

高級スーパーマンシヨンの1階のスーパーで買い物。約400RUB
その後観光客用の土産物店・民芸品店。
夕食時トラピックスから、朝の渋滞遅延に対して、飲み物のサービス。
*武器庫:確かに武器もあったが旧帝政ロシアの財宝:
ロシア正教の宝が眼を引く。

王室の衣装・それに歴代の馬車など。エカテリーナーにまつわる宝が・・・
共産主義・社会主義のものでないのに・・・と思った。
ウスペンスキー教会・・・ロシア正教様式の教会を初めて見学。
祭壇を直接見る事は出来ない。
間仕切りの正面にイコンが描かれている。
キリストの誕生から復活までの物語。
東側/西側出口には昇天の際に審判を受ける様子。
中央には4本の天空を支える柱。
初めて見るのでヨーロッパの教会との違いに:少し唖然とした。
食事終了後HTL着8:00.9時就寝。

雨のため
撮影なし
第6日
9月23日

【行程】
セルギエフ・ポサード観光
トロイツエ・セルギエフ大修道院

【記録】 
ロシア正教
St。セルゲイ
ミサ:肉声の聖歌。
人々の心に届く良いものだった。どんな時代、いつの社会でも人には宗教がいる。
昼食後:モスクア空港へ →帰国
12:20昼食すみ出発。

第7日
9月24日

【行程】
8:25 成田着→羽田→伊丹13:35 伊丹着

【記録】
8:25予定通り到着(−18min
羽田行きバス9:10乗車。約1HR 
機中若いロシア人がいろいろトラブルがあったらしい。
千葉県警が出て来て、彼らを
足止めしていた。